世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介
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この浄真寺には不思議な伝説があります。 以前からお読みになっている方はお分かりかと思うのですが、古い記事を削除して新たに書いてみたいと思います。 まずは古き奥沢の情景を思い描いてみたいと思います。 奥沢は「世田谷 七沢八八幡」の七沢の一つであります。 この沢は動物たちの憩いの場だったのか、このお寺の周辺の二か所(他にもあるかもしれません)に、「禁銃猟 警視庁」と書かれた石標が立っております。 水が植物を茂らせ、この鬱蒼とした森だった時代があったのでしょう。 ただ、近年は広大な湿地でしたので、それを取り囲むように森があったのかもしれません。そして、その湿地のそこらに鷺草が咲いていた。その奥沢城は、その湿地を城の防御としてつくられました。 その後、豊臣秀吉が小田原城を取り囲んだ時に、南下してきた前田利家率いる北陸軍により世田谷城が開城された。この際に、民話では吉良家の殿は姫たちとともに品川の港から夜船で落ち延びたという。主がいなくなった城にはボロが残り、在郷の人々は、そのボロを引き取り市を開いたという。一般には、北条氏政が楽市を開いたことから始まるとなっている。 それから幾ばく。 世田谷の主は名門吉良家から、徳川家最強の騎馬師団を率いる赤備の井伊家の領地となる。 浄真寺は、その跡地に建てられるわけだが、ここでも民話が生まれる。 木食上人により、九体の仏が彫られたという話がある。木食上人とは、豊臣時代に81のお寺を作った僧で、大仏殿造営の監督もした。木の実などを食べ、米や野菜は食べなかったという人物です。 一般には、1662年に、奥沢村の名主・七左衛門さんが幕府代官・野村彦太夫公により一帯の開発を許可され、同五年に城跡の内、内曲輪九反九畝あまりが奥沢新田の菩提樹賢察予定地として除地となった。そして、1678年に「珂碩上人(かせきしょうにん)」により九品仏浄真寺が建立されたという。 この珂碩上人のお墓は、北側に位置する中品堂の脇にある。 正確には、斜め後ろと言った方が良いのだろうか、その辺りで一段と高くなった所にある。 この一段と高くなる所に訪れるには石段を登るのだが、その脇に井戸がある。 不思議とは、この井戸のことである。 文献によると、こう書かれている。 「今なお清い水を湛えています。この井戸を覗き広大無辺の仏の慈悲を固く信じて「南無阿弥陀仏」の称号を一心不乱に唱えながら、願い事をすれば、日中とはいえ夏の夜空とみがまうばかりの星が水底にキラメキ、その願いがたちどころに叶えられると言い伝えられています。」 森はなくなり、今は住宅街となっていますが、この住宅街にそのような不思議があるのが良いです。 ▼面白かったら下の画像をクリックして評価してください!!▼
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