世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介
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玉川東陸閘とは、やむえない理由により、一部土手となり、一部において開閉ができる堤防の事を言います。子供の頃に自宅から兵庫島へと遊びに行く時に、なぜか一部土手が切断されているのを見て、一体これは何だろうかと思いましたが、これを書くことにより明らかになりました。 多摩川というのは、今のようにほぼ一直線に流れるような流路ではなく、蛇のように蛇行をしていました。そして、雨量が大きい時には川筋の村々を襲い、時には村を分断してきました 第三京浜の所では「明神池」というのがありまして、そこは多摩川の流れから取り残され出来た池でした。 そして、もっと奥に行くと、小泉次大夫公が作られたという「八町土手」があります。更に奥へと行くと、田園調布雙葉辺りは入り江で船着場として活用されてきました。 また、川崎にある「下野毛」は、世田谷の野毛と陸続きで、更に等々力も同様に陸続きでした。地図を見ると、その様子がわかります。野毛六所神社で多少触れていますのでご覧ください。尚、この六所神社も多摩川と深い関係にあります。それ以外にも、玉川の諏訪神社も同じです。 このように、かつての多摩川というのは暴れ川であったということです。 この玉川東陸閘が出来た理由は、1914年に多摩川を襲った二度の大洪水が発端となって起きた「アミガサ事件」を契機に、多摩川改修工事が始まりました。 この際に、この玉川東陸閘が築かれました。 しかし、川辺に建ち並ぶ料亭などから「眺めが悪くなる」として合意が得られず、料亭街をのぞいた形で堤防が築かれ、いざという時の脱出経路として手動で開閉ができる堤防となったそうです。この当時に全盛であった玉泉亭があり、ここは昭憲皇太后がお成り(出かける)の由緒ある料亭である事から、残る事の許可が得られたそうです。 現在では、「玉川東陸閘」で有名なのは桜となり、4月には土手に咲き誇る桜が綺麗に咲き誇ります。 【参考資料】 京浜河川事務所 けやきの里日記 けやきの会 【交通機関】 二子玉川駅から徒歩15分 東急電鉄:大井町線/田園都市線 ▼面白かったら下の画像をクリックして評価してください!!▼
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