世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介
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このあたりの交差点をNTT瀬田前と言う。この通りから西に一本隣の道、衆議院速記養成所学生寮の所。国分寺崖線を上っていく坂道を、昔には「まむし沢」と言いました。 村人が年貢を納めるものに妙なものが課せられました。それは将軍家御鷹用の餌として螻蛄を収める事です。この螻蛄を取るところが、まむし沢でした。このまむし沢は名が示すとおりに、まむしが住んでいた。 この命がけの螻蛄取りで、まむしに噛まれぬよう村人はおまじないを行い勇気を振り絞りました。それが、「おいらはこの村の槍持ちだ蛇も蝮もどつけどつけ」という歌です。 ちょっと脱線をいたします。 喜多見は古き名家、江戸家の領地でした。古武士の面が見られる村でもあった。 都の平家が滅んで源氏の天下が治まると、源頼朝を助けた江戸太郎重長も国に錦を飾ることとなる。 江戸太郎は武者を揃えての行進である。戦勝の武者を迎える村人達ははじめてみる京仕立ての武具をみて、どの武士も大将のよう見えた。 その中で、「おいらは喜多見の伊右衛門だ」と言うものがいる。 伊右衛門は殿様のやりかつぎで出陣した雑兵であったが、戦功をかさねて重臣に取り立てられ、凱旋の先陣を受けた賜った。 喜多見では以来、伊右衛門を讃える歌をうたったそうです。 「おいらは喜多見の伊右衛門だ 蛇も螻蛄もどっけどけ おいらは喜多見のやりかつぎ」 この歌は、当時京ではやった「風流陣」というものを替え歌にしたようです。 この歌が、この瀬田の地の人々にも伝わったのでしょう。 尚、螻蛄を入れる桶を「蛄桶(ケラオケ)」と呼んでいました。 両親閣東京院(2枚目写真)には「螻蛄供養碑」と「蛄桶(ケラオケ)」が残っております。 【参考資料】 玉川の郷土を知る会(旧玉川地域活動団体連絡協議会) 「世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく」 【交通機関】 二子玉川駅から徒歩20分 東急電鉄:大井町線/田園都市線 ▼面白かったら下の画像をクリックして評価してください!!▼
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