世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介
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丸子川の玉堤方面には、根という名の付く橋が幾つかあります。 目黒通りを環状八号線を超えて、多摩川へと下る道。途中、丸子川の橋を渡ります。この橋を「玉根橋」と言います。東に隣の橋名を「中根橋」と言います。また、そこから東に行くとナザレン幼稚園がありまして、そこの付近に「西根橋」と言うのがあります。 これ等の共通点である「根」とは、地形的な特徴から名づけられています。尾山台の丘から、南に向って幾つかの谷が並んでいます。丘の上を「尾根」で、その尾根を支える所を根と言います。 この橋は、その地形的な特徴から名づけられています。また、この丸子川沿いの通りを、根のそばを通っていることから「根通り」と呼ばれていました。筏道とも言う。 この尾根の辺り、おおよそ等々力、尾山台の辺りを「地頭山」と呼んだようです。 それで、この地頭山には、地頭坂というのがあったそうです。それがどこだか分からないのですが、こちらの坂道を題材にした「坂道散歩」に地頭坂が載っていました。ただ、こちらのBlogに記されているように、向田坂と掲載しているサイトもあるようです。 この辺りは判断がしづらいです。特に、この周辺は玉川全円耕地整理事業が行なわれて、昔の道筋は整理されているからです。どちらにしても、ここでは地頭坂をこことしてお話しをします。 地頭山の名医 十月も終わりだと言うのに、その年は生暖かい風が吹き、来る日も寝苦しい日が続いた。等々力村の医者、左衛門さんは、横になっても寝苦しいので、雨戸を少し開けてまどろんでいました。すると、夢の中で美しい娘さんが左衛門さんを呼ぶのです。はっと目をさますと、夢の中と同じ娘さんが戸外で心配げに立っていました。 話しを聞くと、等々力村分(分とは、多摩川で分けられたしまった村の事で、この場合には川崎の等々力を示します)の家の妊婦が難産なので、ぜひ診てもらいたいと言う。 きさくな左衛門さんは、さっそく娘に薬箱をもたせて、娘が用意してくれた駕籠に乗り、地頭坂をおりて等々力村の玉川(多摩川)の渡しに行きました。着いてみると、普段の渡し船とは違って真新しい舟で、いなせな姿のきりっとした若衆が竿をもって待っている。川を渡ると、今度は5人組のお出迎えでした。 娘さんが案内した屋敷は、木の香がただよう普請したばかりの家で、奥の間に妊婦が息を荒くしてぐったりとしていました。さっそく、左衛門さんは、妊婦の手当てをして無事に可愛い女の子が生まれてきた。そして、薬をおいて帰ろうとすると、案内してきた娘さんが、ひざを付いて涙を浮かべた。 「私たちは、狐の一族です。狐は診てもらえないと思い、みんなで人に化けていたのです。申し訳ございませんでした」 左衛門さんはにっこりと笑って言いました。 「人であろうが、狐さんであろうが、生きるものを治すのが医者というものさ。世の中は人間だけではないよ。みんなで力を合わせて、幸せに暮らすことだ」 その後、地頭山の左衛門さんが夜の往診に行く時には、狐達が付き添い守ったと言うことです。 等々力村の左衛門さんという医者は何処に居たのでしょうか? それが分かれば、地頭坂も分かるのではないと思います。ちなみに、玉根橋の道の坂上には豊田さんという医者が居たそうです。この方なのでしょうか。 【追記1】 等々力郷土史を拝見いたしましたところ、この地頭坂の周辺の台地が地頭山だと書かれていました。地頭というと、学校で習ったように鎌倉時代の地頭を思い出します。江戸時代にも代官を地頭と呼んだそうですが、この地域は江戸時代には増上寺領で在った為に代官配置はなかった。 その為、この地頭山は鎌倉時代の名残りではないかと書かれておりました。 また、江戸時代に入ると、多摩川の筏師たちは「権左衛門の森」と呼び、目標にしたそうです。 そうなると、医者は左衛門ではなく、本来の名は権左衛門だったのかもしれません。 【追記2】 根ということを、台地を支える根の部分であるから、根通りというものが在ると書きました。しかし、世田谷の地名という本においては、根とは、その地の開発において根拠地としたから、根であるという。 その根の場所を旧地図で調べてみると、野毛に一箇所根があり、等々力に根と堤根、根田というのがあり、尾山に西根、南根というのがある。 これは多少、多過ぎるように感じるので、二通りの話しというのがあったと解釈してよいのではないだろうかとも思っている。つまりは、単純に根は、そのまま根拠地とした根で、それ以外の根が付く地名は、地形によるものではないかと思います。 それで、単純に根とあるのは、野毛と等々力で、これは両者隣り合わせている。行政区分の無いときには、両者は一つの根拠地となったのであろうというのが想像できる。この根を元に、この地域の開発が行なわれたのであろう。実際に、その根の地名には、古くからの旧家が密集をしている。 【参考資料】 せたがやの民話と伝説 郷土史 とどろき 地頭坂 ▼面白かったら下の画像をクリックして評価してください!!▼
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